2019-04-19
今日はコラボ展をいっしょにやっている藤村みゆきさんを紹介したいと思います。(写真右・人形作家・藤村みゆきさん・写真左アルティオ店長・古山久美子)
藤村さんとの出会いは1997年にさかのぼります。私の初めての個展にお客様としていらしてくださったのが縁の始まりです。それ以降、毎回いらしてくださって、芳名帳に記載される程よく小さめの手書きの署名は今でもリアルに思い出すことができます。
五年前にアルティオをオープンしたときに藤村さんは私に「オープン祝いです」と小さな人形を届けてくれました。その時初めて人形作家さんと知ったのです。人形の造形を見たときに「なんていうデッサン力、表現力だろう」と思ってすぐに「二人展しましょう!」と声をかけたのでした。
藤村さんと話をしていて思うことがあります。それは、どんな状況でも、必ず、運が向くような言葉をくれるということです。話していて、マイナスな話には絶対になりません。創作においても同じです。今回の2人のチャレンジは陶芸制作にまで及びました。お互いに「縫う」、「描く」、で精一杯なスケジューリングであるにもかかわらず、作陶という無茶ぶりを目一杯楽しんでくれたのです。(陶芸指導を引き受けてくれた陶芸家・加藤晋さんのサポートがあってこそでした。ありがとうございました)
明日は「Bungaku Cartoon」3日目。ぜひそんな素敵な作家・藤村みゆきさんと会いに、アルティオ会場にいらしてください。
絵は展示中の古山作品「Lucky Cat ヘミングウェイの猫」
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正岡子規「はて知らずの記」を辿る「子規と歩いた宮城」転載連載、続きをアップします。今回は松島を離れ多賀城政庁跡へと歩をすすめます。(先日、「誰か読んでくれているのかしら???」と書いたところ、お読みくださっている方から「読んでますよ」とリアクションをいただきました。ありがとうございます!)
多賀城政庁跡
のぞく目に一千年の風すゞし 子規
富山観音を下った正岡子規は、再び船上の人となる。塩釜で船を下り、多賀城政庁跡へ先を急ぐ。そして遺跡の傍らに立つ「壺の碑」(つぼのいしぶみ)を前に詠んだのが、今回の句だ。壺の碑とは、西行らによって詠み継がれたみちのく憧憬の歌枕なのだという。
言うまでもないが、多賀城は、大和の時代、蝦夷(えみし)征伐において朝廷側の拠点となった地だ。対蝦夷戦の前線基地といえば分かりやすいか。そんな時代から時は千年以上過ぎ去った。けれど東北に根を持つ者にとっては、多賀城跡は今なおアイデンティティを問いかけられる場所の一つと思えてならない。
岩手生まれの私は、この句を歌枕にこの絵を描いたのか?と問われると、答えに詰まる。あえて返すなら、私の歌枕は、丘の向こうに連なる「蝦夷の時代から今につながる名もない人々」だ。
過去は、時として墓石のような衣をまとう。しかし、何げない風景の向こうに目を凝らすと、キャストとカット割りを変えつつ、今なお繰り返される「歴史」が見え隠れしている。
(絵と文・古山拓)