2019-05-06
「笑ってっか?」
「おめえは手ごわがったな」
「君はなかなか嫁にいきたがらないなぁ。今回はいい出会いがある、きっと^_^」
そんなふうに梱包しながら一点一点の絵に声をかけ、そっと撫でながら箱を閉じました。さすがに声を出すとなんだかこっ恥ずかしいので、もっぱら「心の中での声掛け」ですけど。画家のちょっとした儀式かもしれません。(他の作家さんには聞いたことが無いのでわかりませんが…)
11日からはじまる神戸個展の会場・トアギャラリーへ向けて、GWの最終日の今日、仙台のアトリエから荷物が出発しました。今は絵達は仙台の集荷センターについたあたりかな。
トップの絵は展示のなかでも、もっとも小さな作品のひとつ、「Triumph」です。絵画寸法は11センチ四方。北海に面したイギリスの港町で出合った、たぶん、じゃじゃ馬です。きちんとしたギャラリーでは初お披露目です。
そうそう、神戸のトアギャラリーにはBGM用にCDを5枚持ち込みます。すべて、思い入れがあるものばかりです。どんな曲かはお楽しみに。
さて、子規のはて知らずの記を辿る連載が、二人展と個展準備に終われ、辿りつけていませんでした。
今日は久しぶりに続きをアップします。子規は松島行から仙台に戻ります。
+++
仙台大橋
「旧城址の麓より間道を過ぎ広瀬川を渡り槐園子を南山閣に訪ふ」
(はて知らずの記より抜粋)
松島遊覧から戻った正岡子規は仙台市内に投宿。はて知らずの記の草稿には「針久に投ず」という一文がある。文献等に国分町付近と仙台駅周辺に同名の旅館を見つけたが、残念ながら両方とも今はない。子規がどちらの宿に泊まったのかは分からない。旅を通して二つの針久に投宿したとする説もある。
どちらにせよ日々強烈な刺激を受ける子規にとって、宿は一日で最も心安らぐホームだったに違いない。ホームはたどり着く地でもあり、出発の地でもある。
さて、松島の刺激を宿で鎮め、新しい一日に出発した子規は、仙台に何を見たのか。かかる抜粋を今に辿ってみよう。
大橋を青葉山へ渡り右に折れる。直進すると澱橋が広瀬川をまたぐ。南山閣とは国見の高台にあった伊達家老石田家の別荘だ。察するに子規は大崎八幡を横目に唸坂を上り、南山閣へ。訪ねた槐園(かいえん)とは、鮎貝槐園。気仙沼出身の歌人落合直文の実弟だ。
明治の時代、南山閣は文人歌人が集まるまさにホームだった。仙台での子規の数日がここに始まる。
(絵と文・古山拓)
下の絵は仙台大橋です。この「子規と歩いた宮城」を出版したあとに、文中の「広瀬川をまたぐ澱橋」を描いていますので、こちらに掲載しておきます。(澱橋の絵は、今は嫁いでしまいまして、手元にはありません)
仙台大橋
澱橋