2020-06-07
ライフワークって言葉をよく聞いたり、たまに自分でも使ったりしますけど、改めて考え直す出来事がありました。
昨日、テレビの取材チームがアトリエに入りました。詳しくはまだ申せませんが、半年ほど前に出会ったディレクターさんとの縁で、対話(会話にあらず)を重ね、一緒に「歩いて」います。
「歩く」には大きく分けて2タイプありますね。A「目的地に向かって歩を進めること」とB「目的地決めずに思索しながら歩く散歩」。おおかたこの二つでしょう。
今まで水彩画個展でテーマを決め、描くアンテナを立てて海外・国内を取材を続けてきました。その取材旅はA地点からB地点まで歩く中で、響いてくる何かを探すことでした。
取材の時は、頭の中はニワカですが歴史家になっていたり、哲学者になっていたり、環境学者になっていたり、はたまた神学者になってしまったり、脳内は思索のタイフーン。そういう意味では、取材で歩くことはA×Bのような気もします。
今回、ディレクターさんと「歩く」ことは、過去20数年取材を繰り返して積み重なった「思索の地層」を一層、二層、三層…と抽出する貴重な体験になっています。
思い返せば、とある個展で、お世話になっているU社長がにいらしてくださり話しているタイミングに、そのディレクターさんが来訪しました。
名刺交換した後、社長はジョークまじりでディレクターさんに「嫌がられても古山にぴったりくっついて離れるな!」と言いました。(U社長,多分覚えていないだろうな=笑)
結果、ディレクターさんと一緒に歩くことで、小さな個人の歴史を見直しています。そして思いました。「ライフワーク」とは、アーティストや有名人が大上段に構えていうような、そんな大袈裟なものでは決してない、と。
誰でもが「過去を見つめ直して、未来へ歩を進めること、そして個人の歴史を全うすること」それがライフワークなんです、きっと、多分。
U社長、ディレクターさんと交わした対話を経て今、自分が何を考え、どんな出会いがあり、何を残していくことが大切なのか?そのことを考える自分がいます。
水彩画は、ホワイトクリフへの道。イギリスに取材した旅風景でした。