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x4160677 - Part 43

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「お疲れさまでした」

そんな思いを届ける季節がやってきましたね。新型コロナウィルスの影響で皆さんお疲れだと思いますが、お世話になった方への「お疲れさま」は笑顔の「お疲れさま」です。

先日描いた一枚は「贈り物にするための一枚=渡す方の想い出となるシンガポールと船=を水彩画で描いてほしい」という内容でした。

複数モチーフの組み合わせをご希望されていましたので、複数枚の写真データをメールでお送りいただき、まずは構図の構成からスタート。カラーラフを描いてメールで送りました。この場合のカラーラフはパソコンのペイントアプリで仮に著彩した画像データです。

いくつかの要望を反映させて、再度下絵をチェックしてもらいました。ゴーサインをいただいてから水彩本制作・納品となりました。額は深いウルトラマリンブルー系の額で合わせました。

実は最後の仕上げは額の裏側に文字を書き込むこと。いわゆる「裏書き」です。絵の「裏書き」とは、額の裏に、「贈る方のお名前」、「贈り主のお名前」、「日付」、「作者である画家の署名」を手書きで書き込むのです。

その額裏に手書きした「贈り主様」は、今回14名の方々でした。

もちろんその方々に直接お会いしたことはありません。ですが、メールでお送りいただいた14名のお名前には、笑顔がオーバーラップしていました。絵が手渡されるシーンを想像しながら丁寧に書きました。

オーダーくださった方は兵庫県の方でした。遠く兵庫から仙台の私に「お疲れさまでした」の思いを託す水彩画をおまかせいただいたことに、心から感謝しています。

そして、こんなふさぎがちな世相の昨今であっても、「ありがとう」「お疲れさま」を届けたい。そんな思いに絵で寄り添えたことが、有り難く、そして嬉しいです。ありがとうございました。

絵のオーダーページはこちらです。よかったらどうぞご覧ください。

オーダー|水彩画|

連峰の輝き_蔵王

古山拓|宮城|蔵王|イラスト|水彩|

宮城県仙台市郊外、新川地区。そこには貴重な民俗芸能田植踊りが伝わっています。無形民俗文化財に指定されています。その踊りを後世に伝えるために、パンフレットが作られました。
そのイラストレーションを担当、表紙イラストは透明水彩で、中面では踊りの概要を説明するため、手法を変えてガッシュで描きました。

モチーフが子供だと、描いている時、自分の顔が笑顔になっています。

他のイラストレーションもご覧になりたい方はこちら

今日、東日本大震災から9年目の3.11。
3.11メモリアル企画「森羅万象のつらなり」も時同じく今日が最終日でした。

実は、ここのところ、私は三陸テーマの表現へのひとつの問いに答えを出せず、悶々としていました。(まあ。画家の問いなんてたかが知れていますので詳しくは触れません。)

答えをくれたのは、今回、一人また一人といらした来場者の方々でした。
答えのかけらを携えたメッセンジャーが、次々とメッセージを渡してくれる、、、。もう、怖いくらい。

深い海の底から、答えはやってくるんだ、多分、きっと。
皆様ありがとうございました。

今日は新しい地図を手渡されたような気分。
不謹慎かもしれないけれど、心が晴れやかな9年目の3.11です。

 

 

 

 

 

アートスペース無可有の郷15周年記念展に3点出品します。油彩から水彩、彫刻、アルミ造形まで多彩な展示です。
喫茶コーナーと素敵な庭もございますのでオフタイムに足を伸ばしてみて下さい。

出品作家:伊勢崎勝人・山家利治・竹内功・古山拓・富山恵美子・山中環・齋藤玄昌實・カルロス・デア

会場:アートスペース無可有の郷

会期:2020年3月19日(木)〜3月30日(月)

            10:30~17:00

住所:宮城県柴田町海老穴海老沢131

電話:0224-56-3584

様々な水彩画のオーダーをいただきます。
直近で描かせていただいたのは、バレエのトゥシューズや赴任地の異国風景、高山植物の花。絵のご注文をいただくたびに「皆さんそれぞれに物語があるんだ」と感じます。(すべてプレゼントのための絵でした。)

半年ほど前、いつも個展に来て下さっている方から「亡くなった妻と登った大雪山の思い出を絵にしてほしい」とのオーダーをいただきました。数ヶ月かけて描き、出来上がった水彩画を先日お客様の元へお届けしました。

オーダーくださったMさんから、「古山さんと奥様をぜひ食事にお招きしたい」と、フレンチレストランにご招待いただき、昨晩おいしく楽しい一夜をすごしてきました。

テーブルではMさんは、「妻からは,良きことをもらいっぱなしでした。でも、早い別れになって、何も返せなかった。だから受け取った恩を、他の人たちに返して行くことにしました。」

実は無くなった奥様は、私の絵の生徒さんでもありました。

絵の制作の筆を置く時=仕上がりの時=はいつも悩みます。「これで完成かな、、、」と思った時、「先生、それでいいよ〜」と奥様の声がどこからか聞こえました。命日の数日前のことでした。

昨晩は4人がけのテーブルにMさんと私と私の妻の3人。
でも間違いなくMさんの亡き奥様も同席していたと思います。

  

話題は変わって、絵の展示で関わっているイベント情報です。

311メモリアル企画『森羅万象のつらなり【海から銀河まで】』が仙台・藤崎本館8階グリーンルームで開催中です。
わたしどもは震災前の三陸風景画展示と絵本「海の見える丘」、画文集「子規と歩いた宮城」原画展で協力しています。

ご近所までお出かけの際は、どうぞお立ち寄りください。

ラストの写真はもう一人のゲスト、牡蠣の養殖家・畠山重篤さんと、イベント主催代表のフリーアナウンサー・渡辺祥子さんです。

リアスの記憶・冬のかもめ_透明水彩

震災前の三陸風景。

リアスの海辺のどの湾に取材したのか、思い出すことができない。

寒かった記憶がある。

白熱灯が灯りはじめた漁村の、暮らしの美しさを描き留めたい、と鉛筆を走らせた。

忘れられないのは、冬の海に響く海鳥たちの鳴声。

 

新型コロナウィルスの影響で、世相が「あれっ?」という方向へ向いてますね。
マスク、消毒液、あろうことかSNSに踊らされてトイレットペーパーや類する紙製品までがあっという間に無く立ってしまったり。

あと10日ほどで東日本大震災から9年目の311がやってきますが、ここ数日のニュースを見ていると、あの時(9年前)のモノが消えたホームセンターやスーパーマーケットで怒声をあげていた大人たちを、なぜか思い出してしまいます。

悲しいのはそんな大人の素顔を、こどもたちが知ってしまうことです。

「そうか、こういうときはだれよりも早く動いて買物した方がいいんだな。店にあるものは全部買ってしまったもん勝ちなんだ。主張しないヤツが損するんだ。」
こどもたちがそんな状況を見て、そう思ったとしても不思議はありません。

未来がさほど長くない、性格も変わらない親や大人はどうでもいい。
だけれど、これから大人に変わって行くこどもたちに、「大人になるとはそういうことだ」と、思ってほしくないと思います。

 

2011年3月11日のあの日、我が家ではこんなことがありました。
強烈な揺れが納まった直後、ラジオの乾電池がない、と気がついた私は、当時中学生だった息子に「コンビニ行って電池をいっぱい買ってきてくれ」と頼みました。

しかし、コンビニから戻った息子は、最低限の電池しか買ってこなかった。

聞くと、「まだ少しあったけど、必要な分だけにした」

おもわず「なんだ、電池無くなるぞ、全部買ってくれば良かったじゃないか」と言ったわたしに、息子は声を荒げました。

「誰か他にも電池が必要な人がいるはずだろ!?」

言葉を返せませんでした。こどもたちにしゃあしゃあと道徳的なことを求めたり、ああだこうだと偉そうに言ってきた自分のなんてぶさまなことよ。

「そうだよな、おまえ、正しい。」

そう口にした自分の恥ずかしさが、いまだに忘れられません。

 

今、藤崎デパート・グリーンルームで開催予定の311メモリアル企画『森羅万象のつらなり【海から銀河まで】(3月7日から11日)』の最後の準備に追われています。

展示作品の三陸風景画の額装をチェックしたり、描いた当時のことを思い出しながらキャプションを書いたり。

だからでしょう。2011年の3月11日、電気もつかず薄暗くなった部屋の中で、買ってきた乾電池を差し出しながら「ほかにも誰か必要としている人がいるだろ!?」と言った息子の言葉を、つい思い出しています。

311メモリアル企画『森羅万象のつらなり【海から銀河まで】(3月7日から11日)』の特別企画だったメモリアルメッセージコンサート(3/7.8)は、残念ながらそんな世相で中止となりました。ですが、展示は普通に開催します。

この企画展も「誰か必要な人がいる」と絶対的に信じています。

絵は藤崎会場に展示する震災前の三陸風景です。タイトルは「リアスの記憶・冬のかもめ」

場所は岩手でした。
たくさんの港をまわったので、地名は思い出せません。
たそがれ時の鳥居に海鳥が集まっていました。

石割桜_岩手風景水彩画 size34×46.5㎝

皆、だれでもがオリジナルヒストリーを持っています。
それは、数えきれないストーリーの連なりです。
私が描く絵も、一枚一枚その裏側にはさまざまなストーリーが存在します。

今回アップした絵は、スコットランドのスターリング近郊を描いた一枚ですが、そのバックストーリーを少しばかり紹介しましょう。(トップ絵は、ブログ最下部掲載の絵全体のトリミングヴァージョン)

スコットランドは初めて汽車から降り立った瞬間、「懐かしい」と思った不思議な国です。
かの国のもつ歴史が、私の生まれ育った東北と似ていたこともあると思います。
スコットランドは,その昔イングランドから抑圧され、みちのく東北も大和朝廷から「蝦夷(えみし)」と蔑まされていた時代がありました。(北海道の蝦夷(えぞ)とはちょっと違います)
そんな抑圧された歴史の共通点もあり、何度かスコットランドを旅しました。

この絵を描いたときは、スコットランドとイングランドが戦った古戦場を巡ることも、隠れたテーマのひとつでした。
スターリングはスコットランドとイングランドの戦いがくりひろげられた地でもあります。
スターリングブリッジの戦い(1297年)や、バノックバーンの戦い(1314年)です。

レンタカーで辿り着いたスターリングでしたが、適当に見つけたB&Bに投宿。宿の主人に「バノックバーンに行きたいんだ」と告げると、うれしそうに道を教えてくれました。

さて、翌日出発しようとイグニッションキーをひねると、うんともすんともいいません。
バッテリーあがりです。
前日は深い霧でした。私はライトつけっぱなしのままイグニッションを切ってしまったのでした。

宿の主人が「バノックバーンは特別なところだからね。そうそう簡単にはいけないのさ。」とウィンク。「せっかく日本からきてくれたんだ。なんとしても行ってもらわないとね」と、自家用車を横付けしてケーブルをバッテリーに繋いでくれました。

クルマを動かすことができて、ようやくバノックバーン平原に辿り着きました。しかしバッテリー上がりから復帰して数十分しか走っていません。
クルマのエンジンを止める勇気はなかったので、平原のぎりぎりまでクルマを寄せました。エンジンはもちろんかけっぱなしです。

そのままクルマを離れるのは無謀、と、ボンネットの前に小さな携帯椅子をおき、クロッキーをしました。エンジンの熱が背中に伝わってきたのを覚えています。

聞こえるのは、borough.borough.boroughと響くエンジン音と、小鳥のさえずりだけ。

そんなのどかな風景でしたが、風景の向こうから私にせまってきたのは、スコットランドの英雄達の幻影だったように思えます。

絵のタイトルは「英傑の地-ウィリアムウォレスの旅路」です。

スターリングブリッジも私は取材しています。その時もウィンクしたくなる出来事がありました。そのお話や東北蝦夷の地ロケハンの旅話はまた別の機会に。。。

この景色はいままでヴァージョンを変えて何枚か描いています。それだけ好きな風景です。が、その度思い出すのは、宿の主人のいたずらっぽいウィンクなのです。