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「古山拓のフネ図鑑」展のポスター紹介です。

こうして見ると、自分はその時その時で描きたいように描いているんだな、と、あらためて思います。
まったく意識はしていないのですが。。。(苦笑)

明日の祝日もアルティオはオープンします。

と、気づいたら、仙台の外は雪景色になっていました。

どうやら静かな一日になりそうです。

Bon voyage.

この言葉を初めて知ったのは20代なかばのときでした。悪友の結婚式で、彼の父親がすてきな挨拶をしたのですが、贈った言葉のしめくくりがBon voyageでした。どういう意味かわからず、あとで彼に聞いた覚えがあります。なんとも無学の極み。意味は「いい旅を」というフランス語ですが、なぜか私の頭の中には,同時に「いい航海を」とインプットされています。

なにがどこで「いい航海を」に脳内翻案されたのか、いまとなってはわかりません。。。もしかするとそんな意味もあるのかな?いまとなってはどうでもいいことですね。

それはさておき、旅立ちにふさわしい春先、まっさきに「いい旅を!」という言葉をおくらせていただこうと、「船」だけを集めた個展を明日から開きます。透明水彩で描いた船舶イラストレーションや船主役の水彩画です。

海外の旅先で見かけた漁船、タグボート。昔から好きで描いていた戦艦や巡洋艦。そしてマストが美しい帆船まで、アルティオギャラリー壁面が「港」になりました。

登場のフネたちは
タグボートなど港で働くフネはじめ、
★南極探検家アーネストシャクルトンの乗船したエンデュランス号
★慶長遣欧使節団のサンファンバウティスタ号
★最も美しい戦うフネと言われた、英国海軍巡洋艦フッド
★ベネツィアのゴンドラ
★これはもう説明いらない戦艦大和…

ほか多数出航、新しい船出の季節に向けての展示

海画展第二期・FUNe!FUNe!!FUNe!!!古山拓のフネ図鑑が、明日11日から始まります。

11日日曜日と12日祝日は普段はお休みですが、今回は臨時オープンです。

ぜひ足をお運びください。

 

 

仙台文学館/オリジナルブックカバー

◉使用画材/透明水彩+墨・葦ペン

文学というテーマで、在仙イラストレーターがひとつずつ作った企画グッズです。

私は本を読む親子の姿と積み上げられた本をモチーフにしました。

 

 

旧日本海軍駆逐艦「雪風」

透明水彩20㎝×7㎝

 

来週11日からアトリエアルティオではじまる『海画展』第2期展示「古山拓のフネ図鑑」出品作から、透明水彩で描いたイラストレーション・旧帝国海軍駆逐艦「雪風」‬

今回の展示では、「絵に対する子供の頃の気持ち」に立ち返って、描いています。当時描いていたのはヒコーキや軍艦、戦車オンパレードでした。ノートにコマワリしてそんなモチーフばかりを喜々として描いていました。ですので、今回も「海と言えばフネ!」ということで喜々として描いています。


「雪風」大和が沈められた作戦から、奇跡の帰還を果たした…と記憶しています。
宇宙戦艦ヤマト第1話で、古代兄が艦長として操艦していたフネもユキカゼ。
アニメ制作陣のトリビュートだったに違いないと思います

日本広告写真家協会東北支部の公開シンポ・パネルディスカッション「惹きつける1枚」。東北イラストレーターズクラブからパネラーという大役をおおせつかり、楽しく話してきました。日本広告写真家協会東北支部長の熱海俊一さんとの縁もあってひきうけたパネラーでした。コーディネート役のコピーライター鎌田高広さん、グラフィックデザイナーの鈴木文土さん、ご一緒できて本当に有意義な時間でした。大変お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
 
広告、出版というクリエイティブ業界において、プロのフォトグラファー、グラフィックデザイナー、コピーライター,イラストレーターは、それぞれ攻めの立ち位置は違うわけですが、深い所でつながっている無意識の共通言語があります。表現の話をするときに語らずともわかるなにか、があるのです。
不思議なことに画家の集まる場では、この広告出版の世界にある創作共通言語は、あまり見受けられません。
広告は常に複数職種がそれぞれのクリエイティブをぶつけあっての共同作業。画家の世界は一人徹底的に内面に向かう孤独な作業。その違いゆえなのかもしれません。
クリエイティブの共通言語….。数名のフリーランスがひとつの目標に向かってスクラムを組むときに生まれる独特の間合い。語らずともバックボーンに横たわっているさまざまな無言の言葉たちがスクラムを支えているように思えます。

広告業界で職種が異なるクリエイターがパーティで集まることって、そうそうありませんが、昨晩はそんな希有な夜でした。
 
シンポ終了後は会場内でパーティ。人様の前で話したあとの酒はなんであんなにも美味なんだろう。
そして流れて二次会、流れで三次会へ…最後は酩酊。
シメはいきつけのバー・バッカスで沈没でした…
よっぽどたのしかったのか、写真を一枚も撮ってませんでした。
というか、回りがみ〜んなプロのフォトグラファーだらけだと、「写真を撮ろう」なんて気にならないんだな(笑)

絵はバー・バッカスに嫁いでいった、「パパヘミングウェイ」と「グレンフィディックの薫り」です。
 

2月2日、公 益社団法人日本広告写真家協会東北支部では、「惹きつける1枚」と題して、シンポジウムを行います。モデレーターはコピーライターの鎌田さん。パネリスト はAPAから熱海俊一さん。JAGDA宮城地区から鈴木文土さん。東北イラストレーターズクラブから私が参加します。


今の仕事に進むきっかけになった1枚とは・・・インスタ映えする写真とは・・・などなど、鎌田さんの絶妙なトークと共に話し合っていきます。
入場は無料、16:30より受付です。どなたでの参加できます。ふるってご参加ください。

先日、仙台郊外にある作並温泉岩松旅館に一泊してきました。
しばしの骨休めでした。

正岡子規が「はて知らずの記」を書いた東北旅で投宿した宿としても有名です。その露天風呂はいまもなお当時の面影をしっかりと残しています。

わたしは2012年に河北新報に子規の足跡を水彩画とエッセイで辿る連載をしましたが、それを機に岩松旅館さんの絵はがきを私が描いたり、展示をさせていただいたりとご縁をいただいています。

縁は異なもの粋なもの、ここに河北新報に掲載した岩松旅館と子規のくだりを再掲載します。

岩松旅館・1

「涼しさや行燈うつる夜の山」   子規

「作並温泉に投宿す。家は山の底にありて翠色窓間に滴り水聲床下に響く。絶えて世上の涼炎を知らざるものの如し」

仙台国見から作並温泉までを一日で歩ききった子規は、こう書き綴っている。家とは現在の岩松旅館だ。泊まった宿が今もある。となれば私も子規の感じた作並時間を追体験してみたい、と、老舗旅館に部屋をとった。

風呂場は、途中に雰囲気のいい柱時計がかかる長廊下を降りた先にあった。もちろん湯船にスケッチブックを持ち込むことなどできるはずもない。「これは記憶が頼りの取材だな」と、タオルだけを手に廊下を降りていった。

岩風呂の傍ら、渓流がごうごうと音を立てる。「子規が見た風景が変わらずここにある」そう思ったとき、心にある言葉が響いた。学生時代学んでいた古代ギリシャ史の恩師、O教授の声だった。

 「私の時計はね、2000年前で止まってしまっているんですよ。ありがとう」

卒業時、私たちが贈った時計を手に、師がつぶやいた言葉だった。師は、時を自在に行き来できる心を持て、と伝えたかったのではないか…。そう思った瞬間、長廊下の途中に見た古い柱時計が脳裏にフラッシュバックした。

作並温泉・2

「夏山を廊下つたひの温泉かな」  子規

前ページでも書いたように、私は岩松旅館でその場で描くことはしていない。この絵は風呂から持ち帰った「記憶」を基に「印象」をざくっと刻んだ素描を下敷きにした。前回の古時計の絵も制作過程は同じだ。

子規はのちに言葉による「写生」にこだわることになる。とはいえ、文字通りそのままを写し取るのではなく、そこには子規のフィルターがかかっていたはずだ。絵も同じく想像力、そして記憶の連結力といった濾過装置が欠かせない。もちろん現場デッサン力は必須だが。

まっさらな紙に向かい「記憶」と対話しながら、過去に見た風景を紡ぎ出す。そこには描き手の過去何十年という経験が意識せずともにじみ出る。山や川、町並みや空を描き出したそれは、実は描き手そのものでもあるのだ。

今回の句は、旅館内でも案内されているが、彼が作並で詠んだ句を幾つかここに紹介しておこう。

 ちろちろと焚火すゞしや山の宿

 はたごやに投げ出す足や蚋のあと

私が子規の句に感じるのは、写生された対象にかぶる生々しい彼自身の姿だ。

駄文、お読みいただきありがとうございました。

追記

今回掲載の二点は岩松旅館さんの玄関に額に入ってかけられています。

みちのく東北はいで湯があちこちにあります。仙台に旅したときはぜひ,子規の泊まった岩松旅館さんまで足を伸ばしてはいかがでしょう。

連載は「子規と歩いた宮城」として画文集にまとめました。ご希望の方には通販もしていますので、フォームからお問い合わせください。

JR東日本パンフレット「駅長オススメの小さな旅」

水彩

モチーフ・利府松島/馬の背

 

北の文学表紙イラスト

クライアント/岩手日報社

水彩(カラー制作モノクロ掲載)