2019-03-18
年度末15日は、確定申告をしている個人事業者にとって、最大の節目のひとつ、です。今年もおかげさまで無事納税手続きが終わりました。いつもお世話になっている浅利会計事務所さんに感謝申し上げます。トップの絵は浅利会計事務所さんの応接室に嫁いでいるポルトガルロカ岬を描いた水彩画です。
ブログがそんな年度末の余波で一週間空いてしまいましたが、今日もブログ連載中の「子規と歩いた宮城」をアップします。みちのく旅をどうぞご一緒に。今回は仙台のつつじが岡公園付近です。
表題の絵の風景は,2012年、再開発の終わり近くの佇まいです。開発が済んだいまは、残念ながらありません。奥に延びる道は片側三車線の大きな通りになっています。
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『子規と歩いた宮城』第5回 仙台・榴岡
「兵隊の 行列白し 木下やみ」 子規
榴岡公園(宮城野区)。仙台に暮らす人なら一度は訪れたことがあるに違いない。子規も7月28日に立ち寄っている。「明日は必ず扶桑第一の山水に對せん」と記した翌日のことだ。
松島を「扶桑第一」(扶桑は日本の古称)と言い切るあたりに、子規の松島への思いがにじむ。彼は松島へ向かう途中、榴岡を古歌の名所と言いおよび、今の公園付近に遊んでいる。
表題の句から察するに、立ち寄った所は旧陸軍の兵舎だった歴史民俗資料館付近ではないかと思う。夏の強い日差しの下、隊列を組む兵の姿が脳裏に浮かぶ。
今回、私も榴岡では、旧兵舎と桜並木を描くつもりでいた。しかし現地で足が止まった場所は違っていた。公園の外縁だ。再開発で開けた二十人町のさら地越し、一軒の商店が消えゆく町の証人のように建つ。奥に広がる宮城野の丘。その曲線に子規の残像が重なった。
そうか、榴岡は「丘」だったんだ。今まで地名の意味を考えずに口にしていた自分を恥じた。と同時に、その丘陵地は、榴岡に遊ぶ子規の姿を記憶しているのではないか。そう思った。
(絵と文・古山拓)