2019-03-25
月曜から「アップまであと二日」のイラストが動いています。季節ふさわしく、春間近のトーンです。
アップしたイラストは過去、プレゼンで採用に至らなかったもの。決定に至るまで当然いくつかの案を出しますが、残念ながら採用にいたらなかったイラストであっても、愛着は採用イラストと変わりません。
逆にますます愛おしくなるものです(笑)
さて、正岡子規の連載、今日は7回目。塩竃神社第二回です。
『子規と歩いた宮城』第7回
「炎天や 木の影ひえる 石だゝみ」 子規
塩釜神社を私が訪ねた日は、奇しくも七月二九日。子規が明治二六年に塩釜を訪れた日と同じ日だった。仙台駅から仙山線に乗り、本塩釜駅で降りた。子規訪問と同日に塩釜に立つ。気持ちは晴れやかでいいはずだが、そうではなかった。
なぜなら震災後、津波で打ちのめされた塩釜を訪れたのはその日が初めてだったからだ。
子規がたどったルートはどれだけの被害に遭ったのか?恐る恐る駅舎を出た。重機の音が響き、作業員が立ち働いている。商店街のあちこちで一階部分がひしゃげていた。千年に一度と言われる津波の爪痕だ。沈む気持ちをねじふせ、子規が訪れた塩釜神社へ向かった。
境内には和泉三郎忠衡(藤原秀衡の三男、源義経を守った武将)寄進の灯籠が立つ。いわば平泉黄金文化の名残だ。芭蕉が言葉を残し、子規もまた「はて知らずの記」に思いをつづっている。
思いがけず出会った平泉のはるかな残照に、千年を経て試練に立ち向かう東北人の意気が重なった。灯籠越しに奥を見ると、社殿が静かにたたずんでいた。
(絵と文 古山拓