2019-05-08
それは強く優しい書でした。末尾に私が恥ずかしながら蓮の絵を描かせていただいた作品です。揮毫したのは書家、菅原紫雲先生です。冒頭スナップは、メディアテークで開催中の「2019みやぎを魅せる書展」(8日最終日)で先生とご一緒した写真です。
紫雲先生との出会いは10年前にさかのぼります。私とガラス作家、染織作家の三人で仙台・森民酒造酒造本家の酒蔵を借り切って「広瀬川美術蔵」なるアートイベントを開催ました。その会場にいらしてくださったのが縁のはじまりです。
宮城の銘酒のひとつ「伯楽星」の題字を書かれた先生です。「ああ!あのラベルの書!」とうなずく方も多いでしょう。
アルティオギャラリーに何度もいらしてくださっているのですが、二ヶ月ほど前、「相談があります」と立ち寄られました。聞くと障がいをもったお兄様を亡くされたこと、そしてお兄様への思いを書に表現したい。最後に私に蓮を一輪描き込んでほしい。そんな重量のある依頼でした。
アルティオに持ち込まれた和紙には、すでに亡きお兄様への想いが、障がいをもった人々への感謝の言葉とともに愛情にあふれた筆致で刻まれていました。書き上げられた言葉を丁寧に読み上げながら「最後の空白。ここに蓮をお願いします。」
残された余白に描く、、、。躊躇しなかったといえば嘘になります。何度も描いた中からよくできた一枚を選ぶのではありません。一回で描き切らなければなりません。失敗は許されない。
筆を入れる日、こんな私であっても心を鎮めることから入りました。(もちろん事前に鉛筆ドローイングと打ち込みならぬ描き込みを繰り返しています)あとは一気。
お渡しした日からひと月ほどが過ぎ、そして今日。紫雲先生の大作は、障がい者を長いあいだ看取ってきた方にしか表現し得ない「静謐なる感謝」を光とともに放っていました。そんな紫雲先生だからこそ、わたしのようなアウトサイダーを優しくも受け入れてくれたのだと思います。あり得ない機会をいただきありがとうございました。
先生の作品写真をアップします。ぜひ、揮毫された内容をご一読ください。
「2019みやぎを魅せる書展」は8日が最終日です。
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正岡子規「はて知らずの記」を辿る連載は,偶然にも私と縁のある、もう一人の書家との交流にも触れていました…。予定調和でしょうか?不思議な感じです。今回子規の足跡に訪ねた場所は、仙台・国見です。
書家伊藤康子さんとの合作もアップします。同じ場所に取材した、全く違う水彩と墨絵をお楽しみください。
仙台・国見
夕立の 見るゝゝ 山を下りけり 子規
実は私はこの句をもとに、書家と一つの作品を共作したことがある。私が墨画を描き、同じ紙に書家が子規の句を揮ごうした。この共作で私は、作家がお互いの心の深い領域まで踏み込まないと作品にならない、という貴重な経験をさせてもらった。もっとも作品が完成したのは、私の稚拙さを、書家が鷹揚に構え補ってくれたからに他ならない。
何を言いたいかというと、表現者のキャッチボールで生まれる化学反応の面白さだ。正岡子規は、国見の南山閣にて、歌人鮎貝槐園(かいえん)といくつもの歌詠みを交わす。子規が「涼しさのはてより出たり海の月」と詠むと、同じ心を槐園は次のように返したという。
はたゝかみ遠くひゝきて波のほの月よりはるゝ夕立の雨 槐園
文人が集った南山閣には、きらめくような言葉の化学反応が起こっていた。国見に生まれた作品たちは、表現者同士の魂の交歓だったのではないだろうか。
国見の高台の今は、住宅地だ。何本もの電柱と遠くに見える木々が「夕立くだった青葉山」をトリミングしていた。
(絵と文・古山拓)
書家伊藤康子先生との共作。(サイズ全紙)