2019-10-22
10月10日のブログにも書きましたが、広島にはじめて旅したのは昨年のことです。もちろん原爆ドームを自身の目で見るためでした。
現地での鉛筆クロッキーをもとに描き上げた原爆ドームの水彩画は、イタリア・ファブリアーノ水彩展に出品するためのものでした。
絵が戻り、その後、鳴瀬中央医院の齋藤先生に必然的としか思えないご縁をいただき、絵は医院に納められました。
そして、二十年ほど前からお世話になっているフランス文学の小林文生教授からメールをもらったのは先日のこと。以下、許可をいただきましたので、メールを転載します。
「10月10日付けの原爆ドームの絵と文章に引きつけられました。
ひょっとしたら、この絵を以前にも見たことがあるかどうか、記憶は定かではありませんが、見たような気がします。あるいは、初めて見たけれども、まるで自分の心の中を見るような既視感を与える画面なのかもしれません。とてもいい絵ですね。
「茨の冠をかぶっているイエス・キリスト」という言葉、そして「茨の塔」というタイトルにも、とても惹かれました。
誰もが沈黙するしかない重苦しい場所(手前の群衆)なのに、「赦し」ないしは「希望」とともに「昇天」していくイメージ(黄色の明るい空)、心に響きます。
それで連想したのですが、前にお話ししたように、私は7月末に広島に行き、初めて見る原爆ドーム、リニューアルされた広島平和資料記念館などに、心を揺さぶられました。
その後、広島を題材に十数首の歌を作りましたが、次の二首は原爆ドームをおりこんだものです。
アメリカの傘は要らない、日傘さし歩む岸辺の原爆ドーム
一瞬の音なき世界に遺されし原爆ドームに蝉しぐれ降る
それから、原爆ドームの語は入っていませんが、次の歌が9月15日の河北歌壇に掲載されました。
閃光に包まれし朝の石段に影のみを遺す人の名知れず
古山さんの絵に触発されて、お伝えしたくなった次第です。」
何のために絵を描くのか?
医師とフランス文学の研究者のハブとなった一枚の絵。作品はどんな表現であっても、波紋を広げていくということを、無言で教えてくれました。
だから、現場に立ち、大地から感じたちからを鉛筆の描線に込める。すべては現場の空気から始まるんだ、きっと。