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描くハウツーは東西行脚

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描くハウツーは東西行脚

「進路西」「東方見聞録」「西遊記」。東西を冠した書物がよくあります。
昔から人はまだ見ぬ方角へひたすら進みました。

「この海の向こうに何があるんだろう?」
「そびえ立つ山の反対側にはどんな世界が広がってる?」
そんなシンプルな好奇心が人を前に進めたのでしょう。

小学生の頃、岩手青森の県境の二戸(にのへ)という町に住んでいたことがあります。
家の西側には急な斜面の山がありました。高さは数百メートルだったと思います。
いつも「山のてっぺんからはどんな風景が見えるんだろ?」と思っていました。
登ること叶わず転校でその町を去りましたが、今もその山のことを思い出します。

人間を突き動かす原動力はいろいろありますが、ひとつは好奇心であることは間違いありません。

目的地への到達は、たしかにゴールとして大切です。
けれど、西へ、東へ向かう道筋で出会う「何か」こそ大切なように感じます。
(東西が冒険心をくすぐるのに、北へ南へって、感傷的に感じるのはなぜだろう?)

15年ほど前、仕事でハワイ本島を訪れたことがあります。
思いがけない流れで行くことになった、東への旅でした。
その旅で偶然出会った岡山の住職さんと、その後、西へと旅しました。

東日本大震災の慰霊の旅での真言密教僧侶団に混ざってのインド行でした。
(私の家はすみません、曹洞なのですが、私には宗派のこだわりがありません)
不思議な流れでしたが、乗るも乗らないも自分次第、ままよ、と同行しました。

今までの自分たちを振り返ると、ヨーロッパへ、ハワイへ、インドへ、ミクロネシアへと、西へ東へ振り子のように行ったり来たりです。

絵の具に何を選ぶか?筆はどこのを使うか?
そのこと以上に、西の果てはどこなんだ?東にはどんな風景が広がっている?そんなまだ見ぬ先を体験することが、自分にとって大事な描くハウツーなのだと思う昨今です。

縁が縁を呼び、ふたたび岡山に行くことになりそうです。

「小さな西進」が何をくれるのか。

多分答えは15年後にわかるんだろうな。

トップ絵は、インドの聖地・ドンガルカルの岩山。左下に小さく仏像が見えます。その左にさらに小さく巡礼者を描いています。
エンディングの水彩画は、龍樹大菩薩の山へのぼる真言密教僧侶団です。