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水彩で描く一本の木〜慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)のこと

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水彩で描く一本の木〜慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)のこと

水彩で描く一本の木〜慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)のこと

水彩画 一本の木

こんにちは、拓です。

この水彩画は、6センチ× 6センチのちび絵です。すでに嫁いで今手元にはありません。

木という存在は、いろんな思いを抱えた人たちを、じっと、ただじっと見続けてきている、と思います。

木を見ていると、木が見てきたカップルや、家族、恋人や友達、そんな人間たちが木の下で繰り広げてきたいろんなドラマがイメージとして湧いてきます。

その昔、イギリスの湖水地方を旅したことがあります。

1989年だったと思います。

宿の奥さんが弁当を作ってくれて、弁当といっても、サンドイッチとポテトチップスを紙袋に詰めただけのものです。

ダーウェント湖のほとりで歩き疲れて、一本の木の下のベンチに座って、そのお弁当を食べました。

シンプルなお弁当でしたが、それは美味しかったです。

あの木は、1989年の年輪の奥に、僕のことを刻んでくれているのでしょうか?

ぼくにとって、水彩・表現とは?

僕にとって水彩画を描くこと、広い意味で表現することは、過去の体験と向き合い、未来に向けて発信することのような気がしています。

もっと言い方を変えれば、体験とは、いわば潜在意識へのスキャニングなんだと思っています。

30年繰り返し続けてきた旅という非日常の時間、あるいはぼーっと過ごしていた日常の時間は、目に見えない大量のスキャンデータなのです。

描くということは、そんなスキャンデータの一部が、意識せずとも筆先から滲み出てきてくれる…そんな行為のような気がするのです。

絵に刷り込まれた潜在意識

そう考えると、一枚の水彩画に描き出されているのは、ぼくの62年分の潜在意識と言ってもいいように思います。

一枚一枚が、過去に刷り込まれた体験が今、新たに形を変えて擦り出されてゆく、、、と考えると、描く行為がとても愛おしい行為になり、同時に気持ちが引き締まります。

個展作品はそんな意識たちの、たぶん表出

来週20日から、東京聖路加国際病院の画廊で、個展がはじまります。

妻と二人で会場に入る予定でしたが、ぼくはある病気がわかり、入院までの待機期間、大事をとり、長いホテル住まいとなる会場入りはあきらめることにしました。

ぼくのかわりに、妻と娘が個展会場の現場を切り盛りします。作家不在で申し訳ありません。

慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)のこと

病気とは「慢性炎症性脱髄性多発神経炎」です。原因は不明、自己免疫が末梢神経細胞を壊していくというものなそうです。

実は一年前から手足から全身のしびれに悩まされ整形外科に通っていましたが、脳神経科を受診したところ、わかりました。この正月明けのことです。

2月半ばから一ヶ月間の入院治療となります。

治療は点滴なそうです。稀な病気らしいですが、友人医師から「予後は良さそうだね」と聞きましたので、治療に専念しようと思います。

この病気の発症から分かるまで、1年かかりました。その経緯も後日、記録としてブログにまとめようと思っています。

 

今回の個展でお客様をお迎えできないのは本当に残念ですが、この病気を治していく体験も未来の表現へのスキャンデータとなると信じて、新らしい一歩と考えたいです。

皆さんにはぜひ個展会場で、たくさんの水彩画たちと、いろんな対話をしてほしいです。