2025-03-11

1通の手紙があります。
その手紙は北海道に住む一人の小学生の女の子からの手紙でした。
その手紙は多分ぼくが今までもこれからも生きていくパワーになっています。
そして手紙のことをブログに書いたのは、14年前の今日でした。以下は2011年3月11日のあの揺れが来る前に書いていたブログです
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北の大地北海道旭川から一通の手紙が届いたのは数週間前。
小学生の女の子からの手紙だった。
封を切るとそこには一生懸命丁寧な文字で、いくつかのお願いが綴られていた。
それは将来なりたい職業のプロの方に質問するという、総合学習授業で書かれたものだった。
返事を出そうとは思いながらも、盛岡個展と年度末に追われ、返事を書くのが延び延びに。
個展が終わり、遅れたことを詫びつつ、ようやく返信の手紙を投函した。
無事届いたかな?
そう思いながら、来週からはじまる個展の準備のどさくさに飲み込まれていた。
そんな慌ただしい今日、一通の郵便が届いた。
差出人は女の子のお母さんだった。
達筆な文字で、「届いた手紙に、飛び上がって喜んでいました」と書かれてあった。
どんなに私の返事を待ちわびていたのだろう。
そうおもうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「娘が春より目標を持った中学生活が送れることと、感謝いたします」
そうか、あと数日で卒業だったんだ…。
手紙の文末に、胸がぎゅっと熱くなった。
私のような、亜流絵描きの現実と、今まで生きてきた道のりを話しただけなのに、それをこころにしっかりと受け止めてくれた見ず知らずの子がいる。
感謝すべきは私の方です。
Aちゃん、星の数ほどいる絵描きの中から、私に手紙をくれて、本当にありがとうございました。
そしてAちゃんの思いを、手に取るようにお伝えくださったお母さんにも、ありがとうございました。
Aちゃんは、いつの日か、必ず会いたい人になりました。
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大きな揺れが来たのは、このブログを書いた数時間後でした。
後に、10年近く経って、忘れかけていた頃に、その子からまた手紙が届いた。
「美術の教師になってがんばっています」という報告が書かれた手紙だった。
「あの後すぐに震災が起こって、古山さんのことが気になっていたけど、子どもだった私はどうしていいかわからなかった」
とも。
人はどこかでだれかの支えになってます。
もちろんこの子の手紙が、ぼくの支えになっているのはいうまでもありません。
絵は「明日へ」
手紙をもらったあたりに取り組んでいた絵です。陸前高田あたりの印象を描いた作品でした。タイトルは「明日へ」
震災後に「明日へ」という言葉がよく使われました。今思い返してもちょっとざわっと来ます。