#古山拓
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◆JR東日本「駅長オススメ小さな旅」パンフレットの表紙 水彩イラスト
画材/水彩
最新号は、JR東塩釜駅から近い籬神社。「まがきじんじゃ」と読みます。
「駅長オススメ小さな旅」の素晴らしいところは、書店販売の大手旅ガイドには載らない「小さな駅」を拠点にしたレアな情報も、きちんとしたコースとして載せているところ。ベタなコースではあきたらない、旅好き必携の一冊といってもいいかもしれません。
他の業界の方と仕事で会うことが時々あります。イラストや絵の業界にいて自分が当たり前と思っていたことを、きゅっと見直し復旧させてくれるので、好きです。
今日はNHK仙台放送ラジオ第一「ゴジだっちゃ!」に夕方五時半から生出演してきました。番組ブログでも取り上げられていますので、ご覧ください。描く仕事に至ったいきさつや、手がけた絵本「交響曲『第九』歓びよ未来へ!」のお話をしてきました。
http://www.nhk.or.jp/daccha-blog/100/
スタジオ入りする前に、パーソナリティさんやディレクターさんといろいろ話をしましたが、そのうけこたえには、本番と同じくらい「あ!そうか!」がありました。こういう機会に仕事モード?で他の業界の方と話すと、自分はいかに狭い業界に生きているのかを痛感…。
しかし業界以上に世間は狭い。わたしは20年以上前に、とあるラジオ局での収録に立ち会ったことがありましたが、ディレクターさんはその時ミキサーをなさっていた方でした。いや、おどろきました。
仙台は100万都市ですが、30年も暮らしていると、向こう三軒両隣はどこかで誰かに繋がっている、ということですね。悪いこと、できないよ。
トップの絵は局入り直前までギャラリー・アルティオ内で仕上げていた絵。ポルトガル・エヴォラ風景です。
わたしは、その昔、何を間違ったか「学芸員資格」をとりました。ですが、35年前の当時、おおかたの博物館の門は閉ざされており、想い叶わず紆余曲折、今に至ります。…まあ、たいした想いでもなかったのでしょう。そんな宝と思っていた資格も持ち腐れて、もはや分解され土に還っています。
当時同級生で、その憧れた道に進んだ友人が、2人だけいます。彼らはすごい。ひとりが仙台土樋にある共生福祉会福島美術館で学芸員をしているOさんです。同じゼミだったのが縁で、いままで何度か福島美術館でのイベントや展示で作品がお世話になりました。
残念なことに、同館は今年をもって閉館が決定。彼女はそう告げつつ、私にこう振りました。
「タクチャン、記念に?廊下壁面にラクガキを描いてくれない?」
そんないきさつで昨日、美術館三階廊下にドローイングをしてきました。
当初は墨一色で「ラクガキ」のつもりでしたが、廊下に道具を広げ、壁の前に立つと、気がかわった。
「絵の具で描こう」。
その気持ちの変化に、学芸員になれなかった悔しさが、まったく無かったか?と言えばウソになる。
描きあげた絵のタイトルは「美術館からの眺め」。所要時間45分。
以前、美術館からは広瀬川と対岸の大年寺山が見ることができました。その風景を思い出しながら描いた作品です。
建物自体、取り壊されてしまうと聞いています。
学芸員になれなかった絵描きが、なくなってしまう美術館壁面に描く、、、ちょっと切ない仕事でした。
2018年6月1日、午後6時半、交響曲第九「合唱付き」が鳴門板東の空に響き渡りました。ドイツ兵俘虜収容所でドイツ兵たちが手作りの楽器をまじえ、感謝の気持ちと平和への祈りを込めて演奏したのが、ちょうど百年前の同日同時刻でした。
絵本「交響曲「第九」歓びよ未来へ!」(PHP研究所)のイラストを手がけた縁で式典に参列。席はなんと、二列目。一列目がドイツからきた俘虜達の末裔でしたから、特等席です。そんな席で聞くことができたのは、板東在住である原作者のくすのきしげのり先生の尽力があってのことでした。
会津若松出身の松江豊寿収容所長の銅像除幕式もあわせ、式典は終了。くすのき先生、PHP研究所の編集者さんと営業さんの四人で場所をうつし、一献。ぎりぎりでとれた鳴門市内の宿に投宿。(百周年イベントに世界中から第九を歌う会の何百という人たちが徳島そして鳴門へ集中していたのです。宿が取れた事自体奇跡です)あけて6月2日は、鳴門市文化会館でわたしも急遽絵本サイン会のテーブルに座ることになりました。
サイン会はうれしい悲鳴の行列。(式典でも鳴門市長が絵本の意義について触れてくださったので。。)飛行機の時間の都合でわたしはサイン会を途中退席。名残惜しくも鳴門をあとにしました。
第九が縁で、ニーダーザクセン州と徳島県、リューネブルク市と鳴門市は姉妹都市を結んでいるのですが、リューネブルグ・メドケ市長も式典参列。市長を目にした時、実はほっとしました。私が描いた楽団の中の「想像上のドイツ人」に似ていたのです。もちろん市長はそんなことは思わないでしょうけれど、私にイラスト打診のきっかけのひとつが「ドイツ人を描き分けられるイラストレーターに」ということもあったのです。
そんな慌ただしい鳴門でしたが、東北の私の眼には、鳴門の風景がとても新鮮で魅力的に映りました。いつの日か、徳島鳴門と福島会津若松、そしてドイツのリューネブルグの風景を描いて一冊の画集にまとめられたら素敵だな…と思いつつ徳島をあとにしました。
↓サイン会場
↓鳴門市文化会館ロビー
↓6/2付・徳島新聞特集一面
松江豊寿板東俘虜収容所長胸像
↓クリスティアン・ヴルフドイツ元大統領スピーチ
↓オマケ・絵本のためのラフ。鉛筆スケッチ。
盛岡個展で嫁ぎ先が決まった絵を、お客様のご自宅へ届けてきました。アトリエアルティオご近所にお住まいのお客様が仙台からわざわざいらしてくださったので、百貨店からの配送ではなく、私が納品してきた次第です。
マンションの高層階にあるお客様宅は,杜の都仙台の青葉山を見おろす立地、眺望最高でした。壁にはピクチャーレールがついていたので、位置取りもしやすくあっという間に終了。さておいとましよう、と思って「では、、、」と言いかけた時、「お昼ご飯を準備したので召し上がっていってください」
恐縮しつつ、それでも美味しく、楽しい会話でお昼をごちそうになってしまいました。
食後、コーヒーをいただいたのですが、ティースプーンがデザイン、文様とも独特でした。思わず「これは、どこのものですか?素敵ですね」と言ったところ、「オスマントルコ時代のもので、気に入って手に入れたのです。いままでこのスプーンで出しても気にかけてもらったことが無いので、うれしいわあ」
ティースプーンのトルコ文様から、話はますます弾み、ケルト文様、ケルトの妖精の話、遠野物語まで会話のキャッチボールはスピードアップ、うれしい納品の午後でした。
東北通信情報懇談会の会報誌「メルカート」の最新号が手元に届きました。背表紙に「旅絵」と題した水彩画とエッセイを担当して6回目。今回は秋田・由利本荘市の鳥海山を題材にしています。
今まで絵とエッセイの仕事をいただいてきましたが、メルカートは東北全域をテーマにしています。取材旅の合間にこころに舞い降りたキーワードから、自分の内側を振り返ることができて、とてもありがたい仕事のひとつです。
テキストも下記に紹介します。ご笑覧ください。
* * *
菜の花畑へ-鳥海山
わたしは小学生の頃、岩手の二戸という町にすんでいた。家は町はずれだった。当時、東北本線がすぐそばを走り、線路の向こうには急斜面の山が壁のように立っていた。列車が通るとゴトンゴトンとレールの音が山肌に反射し聞こえてきた。そのたびに「あの山の向こうはどんな風景なのだろう?」と思っていた。
山を登りきり、稜線から向う側を見たい。その想いは結局叶わず、数年で転校することになった。登山家や冒険家なら、そんな体験が原体験の一つなったと言っても格好がつくが、残念ながらわたしはそのどちらでもない。山に登る習慣のない自分ではあるけれど、それでもその存在の強さはわかるような気がする。
山はただそこにあるだけだ。しかし、麓や周囲に暮らす人にとって、その姿は目に見えない心の盾だ。特に住み慣れた場所を離れた時に、その盾の強さは強靭となる。
今回の絵は春の鳥海山。山形側、秋田側それぞれで違った稜線を見せてくれる。何度旅しても深呼吸をしたくなる山だ。
何気なく山なみを眺め、息を吸う。そうすることで心の楯の厚みが少しずつ増して行く。二戸で見ていた名も知らぬ山もまた自分に大きな何かをくれているのではないか。
この絵の菜の花畑は、由利本荘側から登った桃野という地区に広がっている。
(絵と文・古山拓)
おかげさまで、昨日11日、盛岡川徳での個展が盛況のうち幕を引くことができました。ご来場の皆様、ありがとうございました。
そして今回も絵を嫁がせていただいた多くのお客様に心より御礼申し上げます。お陰で、再来年も岩手で皆様にお目にかかれそうです。
冒頭で紹介する絵は、最終日の閉場間際に嫁いだ6号作品です。
以前、英国ハワースを描いた作品をお求めくださったお客様が、南仏の小さな村を描いた「鷲の巣村」を決めてくださいました。
「リビングに掛けるのが楽しみです」と、お持ち帰りくださいました。
石割桜の絵は、少々大きめの一枚でしたが、盛久ギャラリーさんの元へ、収蔵作品として嫁いで行きました。石割桜の季節、収蔵作品展示の一枚としてお披露目していただけるようです。こころより感謝申し上げます。
盛岡はふるさとですので、高校、中学、小学校の同級生や、先輩方に夜の食事も大変お世話になりました。ありがとうございました。一週間があっという間。まるで夢のようでした。
昨日「絵が届きました」と、はじめてアルティオのきてくださったお客様のM・Hさんから写真付きのメールメッセージが届きました。
イギリス湖水地方、ウィンダミア湖のほとりの町ボウネスの家を描いた「ちび絵」ですが、お客様は花をあしらって撮影してくれました。家族の小さな仲間に加えてもらえたようで、じわっとうれしい。
壁にかけてフェイスブックにアップしてくれたりするお客様もいらして、それは作者としてとても有り難いことです。
嫁ぎ先で気持ちよく過ごしてほしい、そんな親心を知ってか知らずか、嬉しい報告メールでした。
そんな嬉しい日があけた今日は、盛岡個展梱包日。さきほど宅急便で盛岡へ梱包のみ一足先に出発しました。わたしたちは4日の搬入日に盛岡入りです。
アルティオ店主の妻も一週間盛岡入りしますので、4/4〜4/11までアルティオ店舗,ネット注文ともに臨時休業となります。ご了承ください。万全の?二人体制で川徳デパート5階ギャラリーカワトクでお迎えいたします。
絵は出品作より「記憶の扉」。北上山地の高原地帯開拓村を描いた一枚です。
「交響曲「第九」 歓びよ未来へ! 板東俘虜収容所 奇跡の物語」(くすのきしげのり・作/古山拓・絵/PHP研究所)が先週、出版されました。
「あなたの一日が世界を変える」に続いて、くすのき先生とPHP研究所さんからお声掛けいただいた絵本です。体裁は全作に準じ、第二弾的あつかいです。
ベートーベンの第九がアジアで初めて歌われたのは、100年前の徳島板東俘虜収容所でした。(わたしも初めて知りました)
当時の収容所長が会津若松出身。戊辰戦争での敗北で敗軍の兵士達の気持ちをわかっていたことから手厚くドイツ兵捕虜達を迎え、捕虜達が感謝の気持ちを第九演奏に託したのがはじまり。そのエピソードを、小学生の女の子が知っていくという筋立てです。
今は年末恒例となった第九演奏、そのはじまりが戦争の傷跡と友情。信頼だったとは。。。私は岩手出身でアトリエを仙台に構えていますので、東北出身の収容所長の存在にはことさらに特別な感情がありました。平和と国境を越えた友情への祈りを込めて、描きました。
制作は現地取材はもちろんのこと、くすのき先生、編集担当者様と膝を交えてベストな表現を練り、描き上げました。(モノトーンの絵は見返しです)
私は何度か書いてきましたが、絵を学ばずに歴史を学んだ人間です。(絵は独学)今回の制作には、そのことが大きく役立ちました。
歴史は教科書に載っている有名な人たちが作っていくのではなく、名も無い人々が織り上げていくものなのです。板東から世界にひろがった第九演奏は、まさにそのことを証明しています。
おかげさまで書店発売と同時に重版が決定、初版はもう手に入らないのかな。アルティオでは20冊ほどあります。アルティオ取扱い分は、わたしのサインを入れています。ぜひ、書店で、アルティオでお求めください。
「海画展〜記憶の三陸風景展〜」も本日最終日となりました。午後4時まであけていますので、どうぞふらっとお立ち寄りください。
1月から月代わりで好きな「海」と「船」と「物語」。好きなモチーフに楽しんで向き合えた企画でした。
かようなわがままな企画に毎月ご来場くださったみなさま、本当にありがとうございました!
(カフェトムテ展示・バレアリックコーヒーロースター展示・一番町開国屋展示は今月いっぱい展示しています)
NHK仙台放送局ロビーで開催中の「ふるさと未来への記憶〜震災伝承プロジェクト」も明日21日まで。
私の制作風景が、とってもキレイな映像で流れています。(感謝です!)
なにかのついで、足をお運びください。