#東北風景
- TOP
- #東北風景
山形個展初日、最初に嫁いだ絵は宮沢賢治をテーマにした作品でした。お客様は大沼デパートに偶然いらした方。いつも思うのですが、絵の嫁ぎ方にはなにか見えざる力のようなものを感じます。偶然とは違うような、なにか。いつもギャラリーにあるのは不思議感。ちょっと考え過ぎかな???
遠方のお客様で、お持ち帰りをご希望となりましたので、もうその絵は会場で見られません。すでにお客様の家の壁にかけられたのかな?巣立った自分の子供のようで、やっぱり気になるものです。
今回の個展では、宮沢賢治CDの山形初お披露目ということもあり、賢治作品も数点展示しています。
今日もいい出会いを楽しみに、午後イチから会場に入ります。ありがとうございます。
仙台立町のアトリエアルティオは今日木曜と明日金曜は妻がオープンさせています。なにかのついで、こちらもお立ち寄りくださいね。(土日は妻共々山形会場へ入るため臨時休業となります)
大沼個展、会期は9月4日までです。
「ぼくは地産地消作家だよ」
縁あってお付き合いいただいている児童文学作家、くすのきしげのり先生の言葉です。活躍の場は、中央の出版界、そして全国の書店、講演会場。数えきれないほどの著作と講演回数を持ちながら、それでも故郷の徳島鳴門にベースをおき創作活動しています。
地元から出る術を持てない表現者が悲しくも口にする「地元にこだわる」とは根本的に違います。先生のベースは、生まれ育った鳴門。地元での活動もしつつ、本戦は全国。先生の言う「地産地消作家」というユーモアセンスに脱帽します。
今朝、河北新報の朝刊にて、先生と8月11日に郡山で対談してきたことが取り上げられました。「交響曲『第九』歓びよ未来へ!」についてのおはなしでしたが、私は席上、流れもあって好きで何度も旅した奥会津のことを東北人として話しました。 くりかえしますが会場は福島県です。くすのき先生は徳島鳴門から、そし私は宮城仙台からの参加。そして講演内容は、国境をも越えた世界に通じること。わたしは岩手で生まれ仙台で働く東北の作家として、地域を越えて何ができるのかを、あらためて考えさせられました。
日本は狭くなりました。負け惜しみではない「地産地消作家」として私も頑張ろうと思います。
◆JR東日本「駅長オススメ小さな旅」パンフレットの表紙 水彩イラスト
画材/水彩
最新号は、JR東塩釜駅から近い籬神社。「まがきじんじゃ」と読みます。
「駅長オススメ小さな旅」の素晴らしいところは、書店販売の大手旅ガイドには載らない「小さな駅」を拠点にしたレアな情報も、きちんとしたコースとして載せているところ。ベタなコースではあきたらない、旅好き必携の一冊といってもいいかもしれません。
盛岡個展で嫁ぎ先が決まった絵を、お客様のご自宅へ届けてきました。アトリエアルティオご近所にお住まいのお客様が仙台からわざわざいらしてくださったので、百貨店からの配送ではなく、私が納品してきた次第です。
マンションの高層階にあるお客様宅は,杜の都仙台の青葉山を見おろす立地、眺望最高でした。壁にはピクチャーレールがついていたので、位置取りもしやすくあっという間に終了。さておいとましよう、と思って「では、、、」と言いかけた時、「お昼ご飯を準備したので召し上がっていってください」
恐縮しつつ、それでも美味しく、楽しい会話でお昼をごちそうになってしまいました。
食後、コーヒーをいただいたのですが、ティースプーンがデザイン、文様とも独特でした。思わず「これは、どこのものですか?素敵ですね」と言ったところ、「オスマントルコ時代のもので、気に入って手に入れたのです。いままでこのスプーンで出しても気にかけてもらったことが無いので、うれしいわあ」
ティースプーンのトルコ文様から、話はますます弾み、ケルト文様、ケルトの妖精の話、遠野物語まで会話のキャッチボールはスピードアップ、うれしい納品の午後でした。
東北通信情報懇談会の会報誌「メルカート」の最新号が手元に届きました。背表紙に「旅絵」と題した水彩画とエッセイを担当して6回目。今回は秋田・由利本荘市の鳥海山を題材にしています。
今まで絵とエッセイの仕事をいただいてきましたが、メルカートは東北全域をテーマにしています。取材旅の合間にこころに舞い降りたキーワードから、自分の内側を振り返ることができて、とてもありがたい仕事のひとつです。
テキストも下記に紹介します。ご笑覧ください。
* * *
菜の花畑へ-鳥海山
わたしは小学生の頃、岩手の二戸という町にすんでいた。家は町はずれだった。当時、東北本線がすぐそばを走り、線路の向こうには急斜面の山が壁のように立っていた。列車が通るとゴトンゴトンとレールの音が山肌に反射し聞こえてきた。そのたびに「あの山の向こうはどんな風景なのだろう?」と思っていた。
山を登りきり、稜線から向う側を見たい。その想いは結局叶わず、数年で転校することになった。登山家や冒険家なら、そんな体験が原体験の一つなったと言っても格好がつくが、残念ながらわたしはそのどちらでもない。山に登る習慣のない自分ではあるけれど、それでもその存在の強さはわかるような気がする。
山はただそこにあるだけだ。しかし、麓や周囲に暮らす人にとって、その姿は目に見えない心の盾だ。特に住み慣れた場所を離れた時に、その盾の強さは強靭となる。
今回の絵は春の鳥海山。山形側、秋田側それぞれで違った稜線を見せてくれる。何度旅しても深呼吸をしたくなる山だ。
何気なく山なみを眺め、息を吸う。そうすることで心の楯の厚みが少しずつ増して行く。二戸で見ていた名も知らぬ山もまた自分に大きな何かをくれているのではないか。
この絵の菜の花畑は、由利本荘側から登った桃野という地区に広がっている。
(絵と文・古山拓)
おかげさまで、昨日11日、盛岡川徳での個展が盛況のうち幕を引くことができました。ご来場の皆様、ありがとうございました。
そして今回も絵を嫁がせていただいた多くのお客様に心より御礼申し上げます。お陰で、再来年も岩手で皆様にお目にかかれそうです。
冒頭で紹介する絵は、最終日の閉場間際に嫁いだ6号作品です。
以前、英国ハワースを描いた作品をお求めくださったお客様が、南仏の小さな村を描いた「鷲の巣村」を決めてくださいました。
「リビングに掛けるのが楽しみです」と、お持ち帰りくださいました。
石割桜の絵は、少々大きめの一枚でしたが、盛久ギャラリーさんの元へ、収蔵作品として嫁いで行きました。石割桜の季節、収蔵作品展示の一枚としてお披露目していただけるようです。こころより感謝申し上げます。
盛岡はふるさとですので、高校、中学、小学校の同級生や、先輩方に夜の食事も大変お世話になりました。ありがとうございました。一週間があっという間。まるで夢のようでした。
「海画展〜記憶の三陸風景展〜」も本日最終日となりました。午後4時まであけていますので、どうぞふらっとお立ち寄りください。
1月から月代わりで好きな「海」と「船」と「物語」。好きなモチーフに楽しんで向き合えた企画でした。
かようなわがままな企画に毎月ご来場くださったみなさま、本当にありがとうございました!
(カフェトムテ展示・バレアリックコーヒーロースター展示・一番町開国屋展示は今月いっぱい展示しています)
NHK仙台放送局ロビーで開催中の「ふるさと未来への記憶〜震災伝承プロジェクト」も明日21日まで。
私の制作風景が、とってもキレイな映像で流れています。(感謝です!)
なにかのついで、足をお運びください。
森羅万象、神様、宇宙、大いなるもの、、、どんな言い方でもいいのだけれど、昔から人々はそんな全てを司る力を知っていて、それぞれの文化のありかたで働きかけてきたと思います。
私が興味をひかれる文化に古代ケルト文化がありますが、その文化圏でも森羅万象に力が宿り、Faeries=妖精がいきいきと描かれています。
以前、ケルト文化の色濃いアイルランドを旅したときに妖精の画集を買ってきました。妖精といっても、かわいらしいものではなく結構怖い。小さなブラウニーなんて名前こそ可愛らしいですが、それだって実際目の前に現れたら、ひきます、きっと。同じケルト文化圏のフランスブルターニュ地方のあれこれを書いた本でも,似たような興味深い記述がありました。そこには大いなる力への畏怖があるように思えます。
ひるがえって自分が暮らす日本の祭りや伝承芸能を見ると、やはりおおいなる力への畏敬の念や感謝がかたちになっているように思えます。
ふるさとである岩手に鹿踊りという伝統芸能があります。(宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」という物語で鹿踊りのことにふれています。青空文庫で読めます→こちら)この踊りの衣装を見ると、ケルトの妖精達を思い出してしまうのです。動物と人間がひとつになっているような、そんな不思議なデザイン。(実際に目の前で鹿踊りの衣装をまとった踊り手を見ると、その大きな存在感に圧倒されます。)
いつも鹿踊りのデザインを見るたびに、人は大いなる力と常に繋がっている、、、という想いが拭えませんでした。
今日アップした絵はその鹿踊りへの想いを描いた一枚「faeries_鹿踊り」です。
あの日から7年後の311企画。「海画展」はそんな想いで企画した展示です。
明日、その3月11日を迎えます。トップ絵は震災前の気仙沼。港の対岸、造船所がありました。そのあたり。
「海の物語から描く」
「船を描く」
「震災前のスケッチから描く」
と三つのテーマで3ヶ月のロングラン展覧会にチャレンジしてきました。
あらためて思ったことは、「海を描く」ということは、「海に関わる海以外のもの」を描く、ということでもあるのです。
なんだか、光を描こうとするときに、自ずと影を描かなければならないということに通じるな、、、なんて常に思いながらの制作でした。
正直に言います。いろいろな事情が重なり、今回ほど気持ちが大変な展覧会はありませんでした。興行成績的には成功とは言いがたい数字でしょう。はっきり言えば持ち出しばかりの赤字興行です。
だけど、明日3月11日を目前にして、やった意義はおおいにあった、と思いたい。
なぜなら、この企画をもって私の中では海と震災に一区切りつけることができたから。
何を得たか?
それは数年経ってわかること。今はなにもわかりません。
いえることは,我流絵描き・イラストレーターとして這ってきた自分にしかできない表現をしたということ。
昨晩、企画の屋台骨のひとつ、シンガーソングライター「苫米地サトロライブ」が素敵なかたちで終わりました。
友人である彼の大好きな歌に「青空」があります。
彼が震災の応援ソングとして作った歌です。
昨日の彼の歌とリズムを刻むステップには、鬼気迫るものがありました。
その歌詞から引用で、明日にたむけたいとおもいます。
* * *
泣きながら行け 泣かないって決めるな
迷いながら行け 泣かないって決めるな
震えながら行け 泣かないって決めるな
泣きながら行け 泣きながら行け 泣きながら行こうぜ
逃げないって決めたなら
サトロ君、ありがとう。
荒れている海は、きらめく海以上に立ち止まってしまう。
この水彩画「雪風」の元になったスケッチ素描は岩手のリアスの海辺であることは確かだけれど、どこだったかいまとなってはわからない。
憶えているのは、強風が吹きすさんでいた、ということ、そして風にあがなうようにカモメ達が空に舞っていたということだ。雪は決してふっていなかった。私の場合、素描を元に風景画を描き始めると、心の中では雪が舞い、時間が夕刻へと近づき、漁村に光がともってくれていた。絵描きはことほどさようにウソをつく。
美しい海辺ももちろん魅力だけれど、荒海にあがなうように暮らし続けた漁村の体温もまた愛おしいのだ。こんな漁村が三陸にはいくつもあった。それが根こそぎ失われた2011年3月11日。そのことが時間が経つほどにくやしいので、アルティオで発表する。
決して上手い絵でも美しい絵でもないことは百も承知だ。でもそれが、イラストレーターと画家、この両方を行き来して「描くことで食う」という路上生活者スレスレの生き方を決めた自分を支えてくれている、多くのクライアントや嫁がせていただいたお客様への矜持だともおもっている。
NHK仙台放送局が掲げている、「震災伝承プロジェクト〜ふるさと未来への記憶」第二期展示が局の一階エントランススペースではじまりました。
取材をうけた私のクリップも流れています。ぜひごらんください。