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「絵本をたくさん読んでもらった子は、親になっても絵本が好きなんだ」…「会場に来た子供が親になって、また子供を連れてくるまで継続しなきゃなあ」…「そういえばわたしもなけなしの小遣いを子供達の絵本にばんばんつかいましたっけ…」…「親と子供と絵本。この三つは間違いなく未来を作る三角形のひとつですね。」
そんな会話が交わされたのは金曜日の夜の福島郡山。福島民報の記者さん、高島書房社長、児童文学作家のくすのきしげのりさんとの懇親会の席上でした。ビッグパレットふくしまで開催されているイベント「絵本ワールドinふくしま」開催前日のこと、児童文学作家くすのきしげのりさんと一緒に講演を依頼されての縁です。ちなみにくすのきさんは、作家歴30年、児童文学ワールドのトップランナーのお一人です。
オープニングセレモニーには、絵本キャラがずらり。大勢の親子の前で楽しくくすだまが割られ、会場内はあっというまに熱気にあふれていました。
わたしはくすのきしげのりさんとともに「絵本『交響曲「第九」歓びよ未来へ!」(PHP研究所・刊)のイラストレーターとして、絵の制作の裏側をお話ししてきました。
同書は、100年前、鳴門のドイツ兵捕虜収容所内で交響曲第九が日本(アジア)で初演された史実を元にした絵本です。その中で「福島会津出身の軍人松江豊寿氏」が大事なキーマンとして登場するのです。
第九アジア初演から100年目という節目を記念しての絵本発刊でしたが、その節目は偶然にも戊辰戦争から150年にもあたっています。戊辰の役で敗軍となった会津藩士の血を引き、敗者の気持ちを理解している松江所長の存在が、第九演奏に繋がったといっても過言ではなかったのです。
どんな歴史も勝者によって書かれるものです。否、歴史のみならず、日常もそうです。人が集まると、そこには主流と反主流・傍流が必ず生まれます。すべての光には影がある。そんな影となった人々の心を、一見光の側に立った人々が推しはかることができるかどうかが、良き未来を作る鍵なような気がするのです。松江豊寿さんはその心を間違いなく持っていました。
この絵本の制作では、描きながらそんなことを考えていましたので、松枝所長を輩出した福島の方に、絵描きの心の内をお伝えしたくておしゃべりしてきました。
そしてもうひとつ伝えたかった制作舞台裏が、音楽のこと。絵本なクライマックスの数見開きで、私は指揮者の手と楽団を描いています。なぜ、その絵柄にしたのか?どうしてそれ以外にありえなかったのか?をお話ししました。理由は、私が中学高校とヘタながら続けていた吹奏楽にありました。
練習を重ねに重ね、いざ本番。ステージ上に満ちる独特の緊張感。その感覚は当時第九を演奏したドイツ兵俘虜達もおなじだったはずです。数見開きはそんな吹奏楽体験から舞い降りてきた絵でした。そのエピソードをお話ししたところ、客席にいくつかのうなずきがあり、終了後に笑顔で「私もフルートをやっていました。先程のおはなしのこと、すごくよくわかります!」と言ってくれたお客さんがいました。それはとてもうれしかったです。
くすのきしげのり先生、そしてPHP研究所さんとご一緒させていただいたのは今回、二作目でした。児童書で関わった本は未だ三冊目、児童書の世界では文字通り駆け出しの画家、イラストレーターですが、こんなありえない機会をもらえたことは、いまだに信じられないことです。
主催側の福島民報さん、高島書房社長、そしてイベントをサポートする多くの出版社の方々には、とてもお世話になりました。心からありがとうございました。そして光と影をあたえてくれ、今に繋げてくれたすべてに感謝しています。
(思い返すに今回のイベントは、さながらアトリエアルティオ「おはなしの部屋△」の番外編 でした。言葉で伝えることはとても大事ですね)
さて、アトリエでは、新作の水彩画が制作進行中です。絵のサイズは60㎝×50㎝。イギリスで出合った花々と、ベンチ。
いまから、この続き。少しずつ、ゆっくり、あせらずに描こう♩
Tourrettes-sur-Loup 南フランス
7月です。あっという間に夏がきました。
今年のオリジナルカレンダーは二種類ありますが、ひとつはフランスの旅カレンダーで「ニースの小舟」。もう一種類のカレンダーの七月は、下記にアップしたポルトガルの南部の小さな村、モンサラーシュです。
この取材旅のときも暑かった。気温は連日40度を越えていたことを記憶しています。小さな子供達をつれて妻と四人で旅していたわたしたちに、その熱波は想定外のトラブルをもたらしました。
詳しいことは割愛しますが、結果、村に予定外の数泊を余儀なくされました。
今、絵を見るたびまっさき思い出すのは、滞在中親身になって私たちの面倒を見てくれた、宿の若夫婦、そしてようやく村から出発できるようになった私たちを見送ってくれたその家族たちです。
多分彼らは私たちのことを憶えていないでしょう。それでも私たちの思い出には深く刻まれています。
私はモンサラーシュ村を過去何枚も描いています。なぜならば描くたび、絵を見るたびに、『旅は「教え」のために何かを引き起こし、気持ちを前に進めていれば、必ず助けを現出させてくれるのだ』ということを思い出させてくれるから。
絵の取材旅なんて、優雅とはほど遠い。あっちでトラブル、どこかのだれかに助けられ、またまた別のところでトラブル遭遇。どぎまぎしたり、落ち込んだり、たどたどしく訪ねたり。かっこわるいったらありはしません。
だから、あの国、この町、助けてくれた人たちや町を美しく思い出すのです。
岩手の情報誌「ラ・クラ」で絵本「交響曲『第九』歓びよ未来へ!」が紹介されました。100年前に第九がドイツ兵捕虜達によって日本ではじめて歌われたきっかけ。それは収容所長が戊辰戦争で敗軍の気持ちを理解していた会津若松出身の松江所長の存在があってのことでした。
東北で取り上げられたことがとても嬉しく思います。掲載ありがとうございました。
2018年6月1日、午後6時半、交響曲第九「合唱付き」が鳴門板東の空に響き渡りました。ドイツ兵俘虜収容所でドイツ兵たちが手作りの楽器をまじえ、感謝の気持ちと平和への祈りを込めて演奏したのが、ちょうど百年前の同日同時刻でした。
絵本「交響曲「第九」歓びよ未来へ!」(PHP研究所)のイラストを手がけた縁で式典に参列。席はなんと、二列目。一列目がドイツからきた俘虜達の末裔でしたから、特等席です。そんな席で聞くことができたのは、板東在住である原作者のくすのきしげのり先生の尽力があってのことでした。
会津若松出身の松江豊寿収容所長の銅像除幕式もあわせ、式典は終了。くすのき先生、PHP研究所の編集者さんと営業さんの四人で場所をうつし、一献。ぎりぎりでとれた鳴門市内の宿に投宿。(百周年イベントに世界中から第九を歌う会の何百という人たちが徳島そして鳴門へ集中していたのです。宿が取れた事自体奇跡です)あけて6月2日は、鳴門市文化会館でわたしも急遽絵本サイン会のテーブルに座ることになりました。
サイン会はうれしい悲鳴の行列。(式典でも鳴門市長が絵本の意義について触れてくださったので。。)飛行機の時間の都合でわたしはサイン会を途中退席。名残惜しくも鳴門をあとにしました。
第九が縁で、ニーダーザクセン州と徳島県、リューネブルク市と鳴門市は姉妹都市を結んでいるのですが、リューネブルグ・メドケ市長も式典参列。市長を目にした時、実はほっとしました。私が描いた楽団の中の「想像上のドイツ人」に似ていたのです。もちろん市長はそんなことは思わないでしょうけれど、私にイラスト打診のきっかけのひとつが「ドイツ人を描き分けられるイラストレーターに」ということもあったのです。
そんな慌ただしい鳴門でしたが、東北の私の眼には、鳴門の風景がとても新鮮で魅力的に映りました。いつの日か、徳島鳴門と福島会津若松、そしてドイツのリューネブルグの風景を描いて一冊の画集にまとめられたら素敵だな…と思いつつ徳島をあとにしました。
↓サイン会場
↓鳴門市文化会館ロビー
↓6/2付・徳島新聞特集一面
松江豊寿板東俘虜収容所長胸像
↓クリスティアン・ヴルフドイツ元大統領スピーチ
↓オマケ・絵本のためのラフ。鉛筆スケッチ。
盛岡個展で嫁ぎ先が決まった絵を、お客様のご自宅へ届けてきました。アトリエアルティオご近所にお住まいのお客様が仙台からわざわざいらしてくださったので、百貨店からの配送ではなく、私が納品してきた次第です。
マンションの高層階にあるお客様宅は,杜の都仙台の青葉山を見おろす立地、眺望最高でした。壁にはピクチャーレールがついていたので、位置取りもしやすくあっという間に終了。さておいとましよう、と思って「では、、、」と言いかけた時、「お昼ご飯を準備したので召し上がっていってください」
恐縮しつつ、それでも美味しく、楽しい会話でお昼をごちそうになってしまいました。
食後、コーヒーをいただいたのですが、ティースプーンがデザイン、文様とも独特でした。思わず「これは、どこのものですか?素敵ですね」と言ったところ、「オスマントルコ時代のもので、気に入って手に入れたのです。いままでこのスプーンで出しても気にかけてもらったことが無いので、うれしいわあ」
ティースプーンのトルコ文様から、話はますます弾み、ケルト文様、ケルトの妖精の話、遠野物語まで会話のキャッチボールはスピードアップ、うれしい納品の午後でした。
東北通信情報懇談会の会報誌「メルカート」の最新号が手元に届きました。背表紙に「旅絵」と題した水彩画とエッセイを担当して6回目。今回は秋田・由利本荘市の鳥海山を題材にしています。
今まで絵とエッセイの仕事をいただいてきましたが、メルカートは東北全域をテーマにしています。取材旅の合間にこころに舞い降りたキーワードから、自分の内側を振り返ることができて、とてもありがたい仕事のひとつです。
テキストも下記に紹介します。ご笑覧ください。
* * *
菜の花畑へ-鳥海山
わたしは小学生の頃、岩手の二戸という町にすんでいた。家は町はずれだった。当時、東北本線がすぐそばを走り、線路の向こうには急斜面の山が壁のように立っていた。列車が通るとゴトンゴトンとレールの音が山肌に反射し聞こえてきた。そのたびに「あの山の向こうはどんな風景なのだろう?」と思っていた。
山を登りきり、稜線から向う側を見たい。その想いは結局叶わず、数年で転校することになった。登山家や冒険家なら、そんな体験が原体験の一つなったと言っても格好がつくが、残念ながらわたしはそのどちらでもない。山に登る習慣のない自分ではあるけれど、それでもその存在の強さはわかるような気がする。
山はただそこにあるだけだ。しかし、麓や周囲に暮らす人にとって、その姿は目に見えない心の盾だ。特に住み慣れた場所を離れた時に、その盾の強さは強靭となる。
今回の絵は春の鳥海山。山形側、秋田側それぞれで違った稜線を見せてくれる。何度旅しても深呼吸をしたくなる山だ。
何気なく山なみを眺め、息を吸う。そうすることで心の楯の厚みが少しずつ増して行く。二戸で見ていた名も知らぬ山もまた自分に大きな何かをくれているのではないか。
この絵の菜の花畑は、由利本荘側から登った桃野という地区に広がっている。
(絵と文・古山拓)